35年前の盛岡|観光ガイド

 35年前の盛岡観光
      

 私と盛岡

私は30歳から32歳まで3年間、盛岡で過ごしました。東北の城下町らしく、静かで落ち着いた町でした。 自然も豊かで、人情にも熱く、心身とも健康あれば、快適に暮らせそうな気がしました。 女性は色白で慎ましく、独身の私にはとても魅力的に映りました。 当時、私は岩手銀行の第二次オンライン業務に参加していましたので、美人の女子行員を眺めたり、時々、 気に入った女性と会話する機会にめぐまれ、それが密かな楽しみでもありました。
盛岡に来た当初は、暫くホテル住いをしていましたが、3ヶ月たった頃、アパートを借りて住むことにしました。 ホテル住いの頃は、週末毎帰省していた為に、盛岡について知ることは出来ませんでしたが、 アパート住いにしてからは、水を得た魚のようにあちらこちら毎週のように出歩きました。 初めての一人住いということも有り、暫くは充実した生活をおくることが出来ました。

 「盛岡の思い出」
 ・古い建物が同居する街並み:上の橋の傍にある「綺麗な紙を売っているお店」まだ有りますか
 ・南部城跡(岩手公園)新緑の鮮やかさ:鮮やかな緑色、初めて見ました
 ・市内を流れる、水の綺麗な中津川:「遡上するサケ」を見た時は、本当に感動しました
 ・「ベル」のハンバークの美味しかったこと
 ・喫茶店「辻の花」まだ有りますか? 愛しかった人と初めて待ち合わせた所です

35年前の盛岡の写真

左:岩手銀行本店(現在は中の橋支店)  右:紺屋町番屋
35年前の盛岡
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 右:盛岡競馬場
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 高松の池:冬になると氷が張るのでアイススケートを楽しむことができました。今はどうでしょうか。
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 光原社
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 左:北山公民館 右:上ノ橋擬宝珠(国指定特別美術工芸品)
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 中津川: ボロボロになって遡上する鮭の姿は感動的でした
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 左:仙北町駅前 右:雑貨屋ござ九:盛岡市 紺屋町1番31号 
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 左:茶房:辻の花 今はないかもしれません(20120818もう有りませんでした) 右:岩手公園の堀の喫茶店。今はもう有りません
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 冬の岩手公園
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 冬の岩手公園
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 冬の岩手公園
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 盛岡について

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
【観光】
・城下町としての歴史を伝える盛岡城趾(岩手公園、国指定特別史跡)、上ノ橋擬宝珠(国指定特別美術工芸品)、報恩寺五百羅漢、旧南部家別邸及び庭園(御薬園跡)などの名所、旧跡がある。また、明治期の古い銀行建築が遺されており、「岩手銀行中ノ橋支店(旧盛岡銀行本店)」「盛岡信用金庫本店」が知られる。市内には、「酒買地蔵尊」「豆腐買地蔵尊」「おもかげ地蔵尊」など、特徴的な由来を持つ地蔵尊がある。
・宮沢賢治、石川啄木などが青春時代を過ごした町であり、優れた人材を数多く輩出していることから、先人に関する石碑や施設も多い(「もりおか啄木賢治青春館」「盛岡市先人記念館」)。
・ 春には、高松公園(日本さくら名所100選)や盛岡裁判所前の石割桜(国指定特別天然記念物)が先駆け、続いて盛岡市米内浄水場の枝垂桜が見頃を迎える。秋には「一ノ倉庭園(旧阿部浩邸)」の紅葉が知られる。
市内中心部を流れる中津川(北上川支流)は、内陸にありながら秋には鮭が遡上する川として知られる。
・ 陸中海岸国立公園の浄土ヶ浜(宮古市)など岩手県東部、小岩井農場(雫石町)など岩手県西部、また八幡平や安比高原などへの観光拠点。 市内西部には、盛岡の奥座敷と呼ばれる繋(つなぎ)温泉があるほか、周辺地域に「網張温泉」、「国見温泉」、「鶯宿温泉」などがあり、泉質も多様。
・ 毎年8月上旬には伝統ある「盛岡さんさ踊り」が開催され、毎年30万人を超える観光客や市民で、市内中心部が埋め尽くされる。
【味覚】
麺類が有名で、「麺都」と称されることがある。南部杜氏の本場であり、酒どころである。三陸海岸(陸中海岸)が近いので、寿司の名店が多いことでも知られる。「べんじぇもの(弁財物)」と呼ばれるこの地域独特な餅菓子類が多く見られる。
【郷土料理】
 ひっつみ「すいとん」、わんこそば:盛岡じゃじゃ麺及びチータンタン、 盛岡冷麺
【清酒銘柄】 盛岡市内 あさ開 菊の司 七福神 桜顔 盛岡市近郊 月の輪 鷲の尾