黄金町・横浜観光
黄金町・横浜
★★★ 神社
結婚して初めて住んだのが、伊勢佐木町のマンションでした。 このマンションは大岡川沿いに建っており、窓から見える色とりどりの明かりが映し出す川面は風情のありなかなかのものでした。 或る日、明かりの正体が気になり、行って見るとそこはいいわゆる青線地帯でした。当時は未だ半分くらいのお店が営業しており、店のあちこちに着飾ったお姉さんたちが「おいでおいで」をしており、素面ではなかなか歩けませんでしたが、男性としては魅力のある所のひとつでした。 一見、大岡川の水は綺麗ではありませんが、水質はなかなか良くてハゼやふっこが釣れます。ワカメも育っているそうです。
住所:〒231-0054 神奈川県横浜市中区
アクセス:京急:黄金町駅から直ぐ
黄金町について
黄金町(こがねちょう)は、神奈川県横浜市中区の町名。また京浜急行電鉄黄金町駅の所在する南区から日ノ出町駅方面に向かって黄金橋までの西区を含む大岡川沿い一帯の通称である。
大岡川を境に北側の旧・特殊飲食店街と南側の商店街地区に二分される。
・歴史京浜急行電鉄(以下京急線)黄金町駅付近一帯は1945年の横浜大空襲で壊滅し、戦後は ヒロポンの密売所と非合法の特殊飲食店街(いわゆる青線地帯)に様変わりした。特に昭和20年代は、京急線の高架と平行する大岡川を境界に密売組織による縄張り争いが頻発した。黄金町の特殊飲食店街は1956年の売春防止法施行後も相当な規模で存在し続けた。2000年頃までは京急線の高架下とその周辺で、高架下から排除された後は高架の周辺で「ちょんの間」と呼ばれる察w)ョ畳ほどのちいさな部屋で売春行為が行われていた(娼婦の多くは中国や東南アジア、中米出身の女性だった)。しかし2005年の春、2009年の「横浜開港150周年」に向けて街のイメージアップを図るため、警察による集中的な摘発が行われ、「ちょんの間」は一掃された。
※青線: 青線 (あおせん) は、1946年1月のGHQによる公娼廃止指令から、1957年4月の売春防止法の一部施行(1958年4月に罰則適用の取締りによる全面実施)までの間に、非合法で売春が行われていた地域である。青線地帯、青線区域。 所轄の警察署では、特殊飲食店として売春行為を許容、黙認する区域を地図に赤い線で囲み、これら特殊飲食店街(特飲街)を俗に赤線(あかせん)あるいは赤線地帯、赤線区域と呼んだ。これに対して特殊飲食店の営業許可なしに、一般の飲食店の営業許可のままで、非合法に売春行為をさせていた区域を地図に青い線で囲み、俗に青線あるいは青線地帯、青線区域と呼んだ。
※赤線:赤線 (あかせん) は、GHQによる公娼廃止指令(1946年)から、売春防止法の施行(1958年)までの間に、公然と売春が行われていた地域である。 GHQは日本の民主化改革の一環として、それまでの公娼制度(貸座敷・娼妓)を否定し、遊廓を廃止した。女性の自由意志による売春自体は禁止できないとしても、女性を前借金で拘束する人身売買を禁止しようとしたものである。東京では吉原、新宿二丁目などの貸座敷や、玉の井(東京都墨田区東向島)、鳩の街(東京都墨田区東向島)などの銘酒屋の看板を変え、風俗営業法のカフェーという名目で営業許可を取ることになった。(大阪では料亭など、地域によって異なる)戦前から警察では、遊郭などの風俗営業が認められる地域を、地図に赤線で囲んで表示しており、これが赤線の語源であるという(英語のRed light districtが語源という説もある)。(Wiki)